怪しい我が家
家田智代
科学や医学が発達した現代。それでも、いまだ不思議なことや治せない病気はたくさんある。たとえば吸血鬼も科学では説明できない存在の一つ。
そして今宵、闇の中に七体の吸血鬼が集まった。
「家族をつくる?」
「そう。目立たぬように人の世で暮らすには、家族という形をとるのが一番だよ」
「そんなに用心する必要ある?」
「油断は禁物だよ。先日も仲間が一人、狩られて消えた」
「子どもや高齢者の姿をしている者には都合がいいかも。子どもや老人が一人で暮らしていると、行政に連絡するなど、おせっかいなことをする人間がいるからね」
「大人の女性が一人でいても変な目で見られますわ」
「そうだろう? 結婚して子どもがいて、という体裁を整えることは最高の隠れ蓑になるのだよ」
「なるほど。大事なのね、家族って」
吸血鬼たちは家族を装って暮らすことにした。
転校生の風野そよぎは、すんなり学校になじむことができた。クラスの大半が親切で気のいい子たちだったからだ。
そんな雰囲気のいいクラスにも、浮いている子がいた。その子、道引ルカは眠たげな細い瞳の持ち主で、ぽっちゃりしている。おとなしく、みんなに気を遣っていた。
「なんでみんな、道引さんと仲よくしないの?」
「そっか、そよぎちゃん、まだ知らなかったんだね」
クラスメイトによると、ルカの家族はかかわってはいけない人たちなんだそうだ。些細なことで激昂して文句をつけてきては、自分たちが望む結果を手にするまで執拗に嫌がらせをしてくるらしい。彼らの強みは時間がたっぷりあること。誰も働いていないので、すべての時間とエネルギーを嫌がらせのために使えるのだ。警察が間に入っても埒が明かないという。
目をつけられるとやっかいだからルカとはかかわるな。みんな親からそう言われているのだった。
「ふうん」と、そよぎは言った。「面白そう」という言葉は飲みこんだ。
どんより曇ったある日。そよぎは昇降口でルカを待っていた。
「一緒に帰らない?」
声をかけられて、ルカは明らかに驚いていた。
「か、風野さん?」
「そよぎでいいよ。私もルカちゃんって呼ぶから」
「あ、あの、知らないかもしれないけど、あたしにはかかわらないほうが」
「知ってる。でも平気。うちも似たようなもんだから」
「え?」とルカは一瞬きょとんとし、それからすぐに、にまぁと笑った。
帰り道、ルカはしゃべり通しだった。話す相手がいないからおとなしかっただけで、本当は話し好きなのだろう。
ルカの家の前についた。トタン板を継ぎ合わせた塀に囲まれた古くて汚い平屋で、昼間なのに雨戸が閉まっている。玄関と塀には「世界平和」「人類皆兄弟」などと手書きされたビラがべたべたと貼ってあり、監視カメラがいくつも設置されていた。
「うち、少し変わってるでしょ?」
上目遣いでそよぎを見ながらルカが言った。そのとき「上がっていきなさいよ」という声がして、ルカの母親らしき女が太った体を左右に揺らしながら現れた。
「友達連れてきなさいって言っても連れてこないから、友達がいないんだと思ってたよ」
ルカは動揺して「この子、これから塾なの。だから帰らなきゃ」と言った。嘘だったが「そうなんです。また今度」と、そよぎは合わせる。
「今度って、いつよ? いつならいいのよ?」
「お母さん!」
ルカに向かって大丈夫という目つきをして、そよぎは答える。
「明日」
「明日は私の都合が悪い。明後日は?」
「はい。大丈夫です」
母親は家に入っていった。その背に「送ってくる」と叫んで、ルカはそよぎのあとを追う。
「都合なんて悪くないんだよ。相手の都合に合わせたみたいになるのがイヤなだけ。気にしなくていいからね。来なくていいからね」
「行くよ。行かなきゃ、ルカちゃんが何か言われるでしょ?」
「平気。慣れてるから」
「私も平気。言ったじゃない。うちも似たようなもんだって。祖父は自己中、祖母は高慢、弟その一は好戦的で、その二は無関心。以上は腹立つ系。父は大げさ、母は気取り屋。この二人は恥ずかしい系」
「そうなんだ。家族が変わってるの、うちだけじゃないんだね。七人家族なのも、うちと同じだね」と笑うルカに、そよぎは口元だけで笑い返した。
約束の日。学校帰りに、そよぎはルカの家を訪れた。裸電球がぶら下がった薄暗い茶の間に通される。座ろうとすると、母親から「やっぱり、こっち」と台所にある食卓のほうに連れていかれた。ダイニングキッチンの壁には「家族仲良く」「狭いながらも楽しい我が家」と下手な字で書かれた紙が貼ってある。
そこにルカの父親と祖父母、妹と弟が待ち構えていた。家族そろって食卓についているというわけだ。
テーブルの上には大皿があり、煎餅やクッキーが山のように盛られている。母親の仕切りで自己紹介がすむや否や、弟妹は競って手をのばし、ばりばりと食べ始めた。祖父母と父親も手をのばす。
「そよぎちゃんも……」というルカの声にかぶせるように「早く食べなさい。みんなで食べるとおいしいんだから」と母親が言った。叱責に近い口調だ。ルカはびくっとし、あわててクッキーを一つとった。そよぎは「私、間食しないんです」と言った。母親の怒声がとどろいた。
「せっかく勧めてやってるのにっ!」
「お母さん、やめて!」
「私は、よその子もうちの子も分け隔てなく叱る。それが、ちゃんとした大人の務めだからね」
「米や小麦にアレルギーがありますので」
母親は黙った。大人に怒鳴られても動じることなく平然と言い返してくるそよぎに、一瞬、毒気を抜かれたらしい。
「ふん。気の毒に。みんなで食べるとおいしいのに」
そう捨て台詞を吐いて、母親は煎餅をばりばり噛み砕きながら「みんなで食べるとおいしいね」と小さい弟妹に向かって言った。そして、しゃべり始める。
「〇〇さんとこ、姑を施設に入れたんだよ。薄情だね。家族なら面倒を見るのが当たり前なのに」
「△△さんとこの旦那、心を病んだらしい。あそこの奥さん、気が強いからね。文句ばっか言って追い詰めたんだろ。家族なら助け合うべきなのに」
「✕✕さんとこの娘、こないだ男と歩いてるのを見たよ。まだ高校生なのに。親の監督不行き届きもはなはだしい」
父親は妻の言葉にひたすらうなずき、祖父母と弟妹は神妙な顔で聞いている。ルカはそよぎを気にして、おろおろしている。
そよぎは無表情。母親がちらりとそよぎに目をやるときだけ、こくりとうなずいて見せる。
菓子がなくなったのをきっかけに「この子、これから塾だから。あたし、送ってく」と言って、ルカがそよぎを家から連れ出した。
後ろで「塾、塾って。本当に勉強ができる子は塾なんか行かなくたってできるんだよ」という母親の声がした。
「驚いたでしょ?」
ルカは消え入りそうにしている。
「そよぎちゃん、すごいね。うちのお母さんに怒鳴られても平気だなんて」
「慣れてるから」
「そうなんだ。そよぎちゃんとこも大変だね。あたし、叱られるのはいいんだけど、自分が家族の和を乱す存在になることがつらいの」
そよぎはあきれた。ルカにではなく、ルカにそういう思考回路を植え付けた環境に。
「ルカちゃんは悪くない」
「ありがと。でも、うち、よそとつき合いがないの。だから、家族で仲良くしなきゃ」
ルカは真顔だった。
「あのさ、『きょうは暑いね』なんてつまんないこと言っても、『そうだね』って返してくれる人がいたら嬉しいでしょ? 自分の身に起こったあれこれや気づいたことを言える相手がいるって幸せだよね?」
「そうかもしれないけど」
「あたし、そよぎちゃんといると楽しい。でも、友達とはいつも一緒にいられるわけじゃない。引越でもすれば、それっきりだし。だけど家族はいつも一緒。やっぱり家族って大事なんだよ」
「そりゃあ家族は大事だけど、無理に仲良くしなきゃいけないものでもないと思うわ」
信じられない、というふうにルカは細い目を丸くした。
「ルカちゃんのお母さん、『みんなで食べるとおいしいね』って何度も言ってたじゃない? うちのじいさんなら、こう言い返すよ。『ひとりで食ってもうまいわい』って」
「お年寄りは、みんなのペースに合わせて食べるのが大変だからかな」
「おいしいものはひとりじめしたいのよ。隠れて食事をしていることもあるよ」
「ひどーい。普通、自分は食べなくても孫には、って思うのに」
「言ったでしょ。自己中だって」と、そよぎが言うのを聞いてルカは、にまぁと笑った。
ルカと別れ、少し歩いて、そよぎは町はずれにある大きな洋館に入っていった。こちらも雨戸が閉まっている。暗がりの中、そよぎは戸惑いもせず食堂まで行ってカップとソーサーを用意し、香り高い紅茶をいれ、居間に戻ってバラのジャムを落として味わった。
「吸血鬼っぽい食事だね」
男の子が二人現れた。ながれとあそび。弟役だ。
「そんな忌まわしい呼び方やめて」と眉をひそめ、そよぎは「やっぱり昼間出歩くと疲れるわ。日光完全遮蔽クリームを全身に塗っていても」と言った。
「ぼくたちみたいに不登校になっちゃえば?」
「あら、ながれさん、不登校はあなただけですわ。あそびさんは体が弱いのよ」
続いて現れたのは舞。母親役だ。あごを少しそらして頭を振り、豊かな黒髪を揺らしながら言う。
「一家に不登校が何人もいたら目立ちますわ。ただでさえわたくしたち、美しいから目立ちますのに」
「おお、吸血鬼が忌まわしいだなんて。そよぎや、自分を卑下するようなことを言わないでおくれ。私は吸血鬼であることに誇りを持っているよ」
これは父親役の小径。言い方がいちいち芝居がかっている。
「誇りを持っていても見つかって狩られたら、おしまいさね」と高飛車に言い放ったのは祖母役の万智だ。
出てこないところを見ると、祖父役の於菟は地下室で寝ているのだろう。
小径は在宅で仕事、舞は専業主婦、於菟と万智は悠々自適の老後という設定で家にいる。そよぎとながれ、あそびは近くの小学校に転入したが、男の子たちは早々に不登校と虚弱を決め込んで学校に行かなくなった。みんな昼間は寝て、夜は遊んで暮らしている。根が真面目なそよぎ以外は。
ちなみに、そよぎたちはすでに人間の血を吸っていない。バラのエキスを固めたローズフレークスにミルクをかけたものが主食だ。ご存じのように乳は血液からできている。おやつには香りのいい紅茶やバラのジャムをいただく。
そよぎたちの世代は人の肌に触れるのが苦手だ。じっとり湿った皮膚や、さわさわと生えている産毛は気持ち悪い。汗のにおいをかぐと吐きそうになる。開いた毛穴や、そこにたまった汚れを見ると身の毛がよだつ。人の肌に口を当てることなど考えられない。
小径たちの世代は必要とあらば、それも大丈夫だという。あの気取り屋の舞でさえ。
於菟たちの世代はローズフレークスを代用食と呼び、味気ないと言っている。とはいえ、おおっぴらに人を襲うと狩られるので、ときどき手術や事故の現場から血をいただいてくることで我慢している。
たとえば於菟は病院から失敬してきた輸血用の血液パックにストローを刺して、ちゅうちゅう吸う。万智は事故現場で人の体から流れ出た新鮮な血をすするのが好みだ。
それでも於菟は干渉してこないからいい。うるさいのは万智。
「代用食が好きなのは、まあいいさ。でも、人の体に触れるのが気持ち悪いたぁ何ごとだね。それじゃ仲間を増やせないじゃないか。あたしらはどんどん数が減ってるっていうのに」
ながれが言い返す。
「あんたたちが見境なく人を襲ったから、狩られて仲間が減ったんじゃないか。静かに暮らしていれば数を保てるのに」
「なんだって」と万智の髪が逆立ち、目が赤い光を放った。口が裂け、その両端から鋭い牙がのぞき、爪がにょきっとのびて鉤状になる。
「やる気なら受けて立つよ。あそびと一緒にね」と、ながれも人の姿をくずし、異形のものに変化する。
一対一なら万智のほうが強いが、あそびと組めばいい勝負になる。ながれはやる気満々だ。万智にしても手加減せずに戦うのはストレスの発散になる。一対二の戦いが始まった。
三体は目にもとまらぬ速さで空中を飛び回り、激突し合う。「ひゃっほう」という楽しげなながれの声にまじって、ときおり爪が空気を切り裂くひゅっという音や、爪と爪が激しくぶつかり合うがつんという音が響く。
「元気でよろしいこと」と舞。
そよぎは言った。
「家族って怖いね」
「何を言うのだい、そよぎや。あれはレクリエーションなのだよ」と小径。
「うちらのことじゃないよ。第一、うちらは家族じゃないし」
そよぎはルカのことを話した。
「かわいそうだったの。親のせいで友達ができなくて。だから親を殺してあげたら喜ぶかなって思ったんだけど、途中で気がついた。あの子、親のことイヤがってないのよ。あんな家族の在り方を受け入れてるの」
そして、空中を飛び回り、血眼になって相手を鉤爪で切り裂こうとしている万智たちを見ながら付け加えた。「よかった。私には家族がいなくて」
「そよぎや、そんなふうに言うのはおよし。便宜的なものではあるが、きみには私たちという家族がいるのだよ」
「小径さんの言う通りですわ」と舞。
「そういえば、そよぎさん、ルカさんの親を殺してどうするつもりでしたの? 血を吸うとか?」
「まさか。そんなこと、考えるだけでぞっとする」
「於菟さんや万智さんなら大喜びで召し上がるでしょうね」
「信じられない」
「だけど、そのくらいたくましいほうが生き残れる確率が高まりますわ。わたくし、そよぎさんたちにも、そんなたくましさを身につけてほしいと思いますのよ」
「なんで?」
「だって、わたくし、一緒に暮らすうちに皆さんのことが好きになったんですもの」
そよぎは面食らった。ほかの皆と同じく自分のことしか考えていないと思っていた舞から、そんな言葉を聞こうとは。
舞は優雅に身をひるがえし「わたくしたちもお茶にしましょうか。万智さんたち、お遊びはそれくらいになさって」と言った。
「ありがとう。舞や、きみは優しいね。では、お湯をわかしておくれ。私はカップを用意しよう」
「二人は座ってて。私がやる」
動揺を隠して、そよぎは食堂に向かった。吸血鬼は本来、群れることはない。いつも自分が一番大事。おのれの命を守ることが種族を守ることになる。他者にかかずらわって、ともに命を落とすことほど、非効率的なことはない。
情がわいたら危険。非情なほうが生存に有利。なのに……。やっぱり家族って怖い。せめて全員そろって食卓を囲むような真似だけは絶対にするまいと、そよぎは思った。